今回探索するのは、新宿区荒木町になります。かつて花街として栄えた荒木町は、当時の史跡が多く残されており、都内のおススメ散歩ルートでもよく紹介されている程、散歩好きには有名な場所でもあります。先ずはどこにあるのか見ていきましょう!
どこにあるの?
都営新宿線曙橋駅と東京メトロ丸の内線四谷三丁目駅の間に位置しています。距離はどっちから行っても同じくらいですが、私としては四谷三丁目駅から行った方が街を探索するにおいてわかりやすく良いと思います。
簡単な歴史、豆知識
江戸時代、荒木町は町全体が松平摂津守の屋敷の敷地でした。画像は、国立国会図書館が公開している「江戸切絵図」になります。現在の荒木町と比較すると範囲は少し異なりますが、道を見ると松平氏の屋敷と重なることがわかります。この屋敷内にあった池が、今回の探索でも登場しますが “策の池” になります。明治時代になると庭園は払い下げられましたが、池に加え滝もあったことからそこに茶屋ができ、観光名所になります。町は歓楽街となり、芸者の街として栄えました。
なんでしょうか、電柱に塩とありますね。四谷本塩町というエリアがあるのは知っていますが、荒木町とは少し離れています。(四谷本塩町という名前は、本村と塩町1丁目から1文字ずつとって命名されたみたいです。) 江戸時代、この周辺に塩の集積所があったので、 地名に塩がついたという話を見ましたが、この電信柱が位置するのは元松平摂津守領地であり、なぜその敷地内にある電柱に塩の字がついているのかという疑問は解決できそうにないです。松平の敷地内に塩の集積所があったとは思いにくいし、可能性としては明治時代にこのエリアに集積所ができたのならわかります。ただこの辺は花街であり、そんなものは無かったはずです(笑) 真相は闇の中…そもそもそんな掘る内容でもないか(+_+) どなたかわかる方がいたら教えてください!!
豆知識
ここ荒木町は、東京スリバチ学会が定める1級スリバチらしいです!
なんだよそれはと思う方は多くいらっしゃると思います。私も初めはそうでした(+_+)
スリバチ好きというか地形を愛する散歩オタク達には結構知られた存在である東京スリバチ学会の皆さんは、NHKのブラタモリやその他のメディアでも活動されている評価の高い団体みたいです。
探索START!
商店街の通りにある街灯の上に人力車のデザインがありました!昔は芸者さんや遊びに来ているお客さんを運ぶ人力車がいたんですかね??人力車というとパッと浮かぶのが浅草ですが、浅草と違ってこのエリアは階段も多く、道が狭いのでとても人力車が走れるスペースは無いと思うんですがね (笑)
上の写真の真後ろに長い階段があります。長いけど、この歴史を感じる階段好きです!よく見ると…
仲坂とありますね。数えてみたら、41段ありました。昭和7年6月竣工みたいです。
この仲坂の右横に古い建物がありましたが、地形的にもしかすると昔(この家が建つ前の話)は階段があるとこまで水位があったのでしょうか??
この家から続いている階段はもともと水の中にあった可能性もあります。用途はわかりませんが、この階段黒くなっていますが、錆びているだけではなく苔に覆われています。仲坂が作られた1932年以前この辺りの環境はどんな感じだったのかすごく気になりますね。
この感じ昔は川が流れていたのかな?と思わせる地形ですが、どうなんでしょうか?因みに、この真ん中の島にある戸建ては割と築古な建物が多かったのです。右に進むと…
先程のY字路を右に進むと策(むち)の池があります。カメさんと鯉さんがたくさんいます( *´艸`)
策の池の隣に津の守弁財天があります。探索時暑くて倒れそうでしたが、何故かこの池のエリアは涼しかったです。
前回渋谷の円山町にもありました、すぐ横に芸者階段を発見!!
階段を上がると中腹に、一見さんお断り?料亭「千葉」跡地があります。 (残念ながら現在は廃業)
さて多くの人が見過ごすであろう歴史をまたしても発見!このコンクリートでできたオシャレな街灯は昔花街だった場所でよく見かけるものです。後でまた別の場所で出てきますが、こういうのを撤去せずに残してくれていることに感謝ですね。
料亭「千葉」跡地を過ぎて、そのまま上まで上がり道なりにまっすぐ進むと、金丸稲荷神社が現れます。
金丸稲荷神社の奉納者欄を見ると、料亭や中には伊勢丹の名前もありました。四谷三業組合というのもこの地ならではといった感じですね。※三業…料理屋、待合、芸子屋のこと。
さて、金丸稲荷神社付近にスナックや料亭が並ぶ路地があったので、そちらに行くことに…。料亭「雪むら」の名前、さっきの奉納者の石碑にありましたね。
ここにも芸者階段!!ここまで緩やかだともはや階段というより凹凸のある坂とも言えますかね (笑)
おっとここにもオシャレな街灯がありました!この古い電灯ですが、荒木町には2本残っています!
裏を見ると、「山洋コンクリート工業株式会社製造」とありますね。調べましたが、三洋コンクリート工業はありましたが、山洋なので別の会社っぽいです。少なくとも同じ名前の会社はネットではヒットしませんでした。
閉ざされて使われていない古い階段がありますね。
至る所に石畳があります。風情がありますね!
先程の道中に、荒木町で有名な「モンマルトルの階段」があります!荒木町にある階段の中で一番急な階段と言われています。
上から見た風景です。
ここを右に行くと策の池に行きつきます。
古い建物も多くあり、石畳と合って良いですね。
このオシャレなデザインは花街の名残なんですかね。
以前、大阪の飛田遊郭を散策した際に「嘆きの壁」を見ました。散策したことは無いですが、吉原には「お歯黒どぶ」という堀があったそうです。遊郭や花街跡地には、これらのような壁や堀、川等で囲まれていることが多いそうです。目的としては、遊女等の脱走を防ぐ・俗世間との境界であったと言われています。この写真の壁ももしかするとそういった意味合いもあるのではないかと感じました。
策の池のすぐ横から車力門通りに抜ける道があるのですが、ここにも風情のある階段があります。
ここは上に上がる階段がありますが、上がった先行く場所が閉ざされています。見えにくいですが、目の前に見える茶褐色の壁面と左に少し隙間があるのですが、実はここに更に階段があります。人は通れないですが、かつてここに階段があり上に行くルートがあったことが見てとれます。また策が、花街っぽいデザインでいつの時代からあったものかわかりませんが、雰囲気があって良いですよね。ちなみにこの閉ざされた階段の先にあるのは、昔料亭だった「橘家」があります。現在は料亭ではありませんが、三味線や古風な芸事のイベントで使われている?みたいです。
左奥にも階段があり、ここも結構段数はありました。(動画のスクショなので画質が悪くてすみません)
最近はあまり見かけなくなりましたが、家の前にあるブロック塀のデザインが懐かしく感じます。
恐らく、居酒屋「満まる」の裏口です。
立派なお家です。実はこの辺、料亭「雪むら」の建物があったエリアです。(料亭「雪むら」は既に廃業しています。)過去の資料を見ると現役時代の「雪むら」の建物と凄く似ているので、もしかすると、この家も関係のある建物なのではないかと思います。
ここもかつて料亭「雪むら」が近くにあったエリアです。このアパートは、築62年ということもあって、デザインや構造が見たことない変わった作りをしていますね。
この戸建ても雰囲気あります。入り口の木扉も窓の形も味があります。昔は三業に関わるお店だったのではないでしょうか?
夜歩いても絵になる路地です。
外壁がはがれ始めています。たまたまかもしれませんが、古い家の特徴の一つに植物が多いというのがありますね。
ここも古いですが、少し改装されている気がしますね。
料亭「雪むら」の看板が残っていました。昔はこのお店、荒木町では大きな料亭だったんですかね。そんなお店もやっていけない世の中になってしまいました。
苔が多いし、マンホールも多いので暗渠かも?と思い、地面の下に耳を当てると水の音が聞こえました。
フグ食べたいなぁ(+_+)
どういう作りでしょう?(笑) 家の中を見てみたい…
ここもかつては三業関連のお店だったんでしょう。現在は、寿司長というお寿司屋さんでした!
最後に
今回私が散策したルートや場所の案内図を簡単に作りましたので、行ってみたいという方は是非参考にしてみてください。敢えて全ては網羅せず、主要な所だけピックアップして紹介します。それ以外は、自分で練り歩きながら色々と発見してみてください!
① 仲坂(なかざか)
② Y字路(後ろに仲坂、右に進めば策の池)
③ 策の池、津の守弁財天
④ 芸者階段
⑤ 料亭「千葉」跡地
⑥ 金丸稲荷神社
⑦ 芸者階段
⑧ 洒落た策(花街風?)、荒木町の崖に沿った階段
⑨ 雰囲気のある路地裏(石畳有り)
➉ 元花街周りを囲うかのような少し洒落た壁
⑪ モンマルトルの階段
⑫ 荒木町商店会の入り口(街灯に人力車の装飾有り)
♡ 花街でよく見る昔の街灯(荒木町には2個残っている)
参考映像
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